先週中学校の同窓会に参加してきました。
10年おきに開催されているのですが、私は過去一度も参加していなかったので、実に25年ぶり。
正直、当時誰と仲が良かったかとか、そんなことすらなかなか思い出せない状況もありましたが・・・(苦笑)
とはいえ懐かしい友人と再会をし昔話をしていると、あっという間に中学時代に戻ったような気持ちになるものですね!
女子はやっぱり「好きだった男子」と会いたくなり、なぜか男子は「自分のことを好きだった女子」に会いたくなるようで、そんな光景が見られました。
(私についてはノーコメント・笑)
中学生の頃は、「好きな人」の話は常に友達との話題の中心で、けど一方では「嫌いな先生」を避ける、「嫌いな授業」は寝るなど、とっても「好き嫌い」がはっきりしていてそれに従って過ごしていた気がしますよね。
好きな人と話せた日はハッピー♡
嫌いな先生が休めば最高!
抜き打ちテストがあれば最悪↓↓
などなど。
一日のうちで最高だったり最悪だったり、アップダウンが激しいですね。
奔放なようで疲れる生き方ですが、子供の時はそれが普通かもしれません。
しかしながら、これを大人になっても引きずってしまう場合があります。
社会に出ても、「好きor嫌い」な業務、上司、顧客、同僚 から逃れられない。
こういうものに対する感情に振り回されてしまうのです。
(まさに私自身がそうでした)
これは、自分が疲れるだけでなく、他人も巻き込んで問題が大きくなったりクレームに繋がるなど、会社の損益にも関わりますし、問題の後始末で余計な業務も発生してしまいます。
倍に疲れてしまいますよね。
子供の頃とはわけが違います。
ヨガではこの「好き・嫌い」の感覚を「ラーガ・ドヴェーシャ」と言い、願望・執着・怒りを生むと言われています。
そして、これが一番人間を苦しめるものだと。
人は様々な感情が生まれてきた時に、その原因を自分の外に探そうとしますよね。
けれども、よーく観察してみると外のものに「好き嫌い、快不快」の評価を加えてそれに反応しているだけだということに気づきます。
本当は評価も反応もせず、ただ「あ、そう」と受け止めるだけっていうことも出来るんですよね。
そしてそれが出来れば割と心は穏やかです。
そしてヨガはこの「あ、そう」の訓練だと思って頂ければいいなと思います。
出来ないポーズがあっても、出来るポーズがあっても一喜一憂せず「あ、そうなのね」と、ただ自分の心と身体を観察して受けとめ、最終的には手放す。
まずはマットの上から始める訳ですが、次第にマットをおりても出来るようになり、今よりもきっと楽に生きられるようになる。
私たちがヨガをするのは、そんな風に生き方を学ぶ為なのかなと思っています。
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